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コラム:スペシャルワン、モウリーニョが結果を出し続ける訳 part3 [コラム]

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 前回に引き続きモウリーニョについて書きます。

 彼の戦術の解明と彼のチーム作りのこだわりとは?


 モウリーニョが最初にチェルシーを率いてプレミア連覇を成し遂げた頃、ヨハンクライフは彼を結果至上主義と批判したそうだ。その頃のチェルシーは堅固守備とカウンターを強みにしていたのは事実であるが、世間が言うほど守備的なチームではなかった。

 ポルト以降彼は優勝の可能性のあるチームしか率いていない。つまり、それはシーズンの大半は優位に試合を運ぶことを意味する。対戦相手はあらかじめ引いてしまうことが多く、チームはボールを保持して攻撃しなければならないので、格下相手にはポゼッションサッカーを軸に置く。その一方で、強豪との対戦では堅牢な守備と高速カウンターを主とする。
 
 ただし、モウリーニョの率いるチームが大きなタイトル(CL)を獲得できたのは、カウンターアタック主体の戦い方によるものだった。どこが相手でも自分たちのスタイルを貫くといった美学は微塵もなく、相手によって戦い方を変える現実的なプレースタイルで栄光を勝ち取っていった。
 
 リーグでは主にポゼッションを使い、CLでは主にカウンターを使う。どちらが彼の本領なのかは言いがたく、この二面性、そして柔軟性こそが彼の輝かしい歴史を支えているのだろう。(日本代表にも柔軟性の持つ監督がきて欲しいですね)


 もともとサッカーは二面性どころか多面性のある競技である。攻守がはっきりと分かれているわけではなく、攻守はいつもリンクしている。攻めているときに守備を考え、守っているときに攻撃のチャンスを見いだす。そして、どのように攻め守るのかは、ゲームの展開に直結する。

 モウリーニョの真骨頂はこのサッカーの多面性をよく理解した、賢いチーム作りにある。彼は一人ですべてを決めてしまうようなスタープレイヤーを求めてこなかった。ただし、率いるのはビッククラブなので、もちろんそれなりのビックネームは常にいる。しかし彼が求めるのはスーパースターではない。ポルトからチェルシーに行ったとき彼が連れてきたのはチアゴメンデスだった。同郷のポルトガル代表だったが、スター性があるとは言えなかった。
 
 ドログバ、ランパード、テリーもモウリーニョによってビックネームに格上げされた選手だ。だが、彼は名前も分からないような若い選手を育てるタイプではない。それを得意とするのはベンゲルである。しかし、かといって完成されたビックネームを必ずしも必要としていない。モウリーニョ基準は「知性」である。
 
 知性に優れた選手ならビックスターでなくてもいい。そのかわり、知性に問題があるならどんなに圧倒的な個人技があっても興味を示さない。彼のサッカーの真髄が賢さにある以上、そこが絶対条件なのだ。

 ビッククラブといえども、毎年選手を総入れ替えするわけにはいかない。入れ替えは少しずつ行われ、数人の中心選手は必ず残る。モウリーニョは1シーズン目で好成績を残すこともあるが、2年目がさらに良くなる。最初のシーズンでメンバーを整理し、2年目はベストメンバーを揃えるからだ。

 ゲームを読む分析力があるモウリーニョはしばし試合展開を予知する。ただし、実際に試合の流れを読んでプレーの選択するのはフィールドプレイヤーだ。いったんゲームが始まれば監督に出来ることは多くない。つまり、ゲームが始まる前に「賢い」選手をどれだけ揃えられるかが勝負になる。賢さ、サッカーIQをのばす指導力には確固たる自信と実績を持っている。ただ、それも素材が悪ければ限度がある。のびるだけの知性の下地は必要で、モウリーニョには狂いの無い選択眼がある。これが、チャンピオンチームができる一因である。

 
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